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 馬鹿だと思うかもしれない

 どう思ってくれても構わないけれど 

 でも、全部、本当。



森の中の迷子



 アメリカにあるマーラー邸の土地には、遭難してしまえるんではないかと思える程鬱蒼とした森が広がっている。真夏の正午の光をも通さない場所があるぐらいなのだ。
 一度だけ、ソロモンはその森に足を踏み入れたことがあった。森の中でソロモンは、土が、沼が、樹に絡みつく茨が、森の全てが彼の命を奪おうとしているかのような錯覚を覚えた。特殊な条件が揃わなければ死なない身だというのに、身体の全てが生命の危機に対してぶるぶると震え、ソロモンは翼を広げて森の上空へと逃げ出した。
 森を抜ける瞬間、木々が舌打ちする音が聞こえた気がした。
 もし普通の人間が遭難したら、どうなってしまうのだろうとソロモンは思う。
「野生のままの美しさというのもいいのよ」
 と、ネイサンに放置された森は、迷い込んだ人間を容赦なく飲み込むのだろう。辛うじて出てこられても、シュヴァリエとその主の縄張りに入り込めば、何があるかはわからない。



 そんな森に、ソロモンは再び足を踏み入れようとしていた。
 零度の空気に肌を刺され、重い雲に見降ろされながら森の傍を歩いていた時、森の中から声がしたのだ。子どもの泣き声だった。
 こんなところに子どもが入れるわけがない。そんなことは百も承知だったが、それでもソロモンは森へと歩を進めた。
 
 確かに聞こえる。子どもの泣き声が。
 森からの視線を感じながらも、ソロモンが歩いていくと、木の根元で子どもが蹲っていた。

 どうしたんですか

 ソロモンが屈みながら言うと、子どもは驚いた顔をしてソロモンを見上げた。年の頃は3・4歳ぐらい。大きな碧色の瞳と、茶色の髪をしていた。
 
  痛いの

子どもは泣きながら言った。

  脚も腕も背中もお腹も全部痛いの。でも左腕が一番痛いの

 激しく泣く子どもを見ながら、ソロモンの頭は素早く回転を始めた。
 今すぐこの子どもを森からだすわけにはいかない。森からでてしまえば他の兄弟か、主に見つかる。そうしたらこの子どもがどうなるかわからない。ならば、森がさほど深くない辺りを、この土地の端目指して歩くしかない。幸い、北東方向に向かえば、他の土地との境界が南にずれこんでいるところがあるから、そこから子どもを出す事が出来る。
 そこまで考えてから、

  一体どうすればこんな所に入れるのですか…?

 そう言いながら、どうせ歩けないのだろうと、ソロモンは子どもを抱き上げる。
 子どもは泣くのをやめて、きょとんとした顔でソロモンを見た。

   助けて、くれるの?
  
   ええ…でも、家までは連れていけませんよ
   とりあえず怖い人達がいない所までしかいけませんからね
   その後は自分で帰ってください

 冷たい事を言うようだが、自分にもやらなければいけないことがある。
ソロモンは歩き始めた。本当は怪我を診てやりたかったが、それよりも先ず此処から外へだすことの方が先決だった。

   …何故、こんなところに来てしまったのですか?

ソロモンはもう一度訊いた。

   わかんない…わかんない

子どもは再び目に涙を溜めた。

   あのね、ちゃんと大きな道を歩いてたの
   すっごく綺麗な道。そこにね、ウサギさんがいたの

   ウサギ?
 
   ウサギさんが、
   好きだよ、こっちに来てくれたら、もっと好きになってあげる、
   って言ったの。
   前にもウサギさんには会ったことがあって、
   ウサギさんのこと、前から大好きだった
   だから、ついていった
   一緒におおきくて綺麗な道を歩いてくれると思った
   だけど、気付いたら、暗くなってたの……
 
 そんな馬鹿な、とソロモン思った。土地の境界には見事な塀が築かれている。超えようと画策してそれなりの準備をしなければ入れるわけが無い。
 ウサギの話に関しては殆ど聞いていなかった。
 だが、今にも泣き出しそうな子どもを見て、ソロモンはそれ以上訊くのは諦めた。

  ウサギさん、大好きだったのに…
  …どうしてこんな所に連れて来たのかな……
  ずっと一緒にいたかっただけなのに

 ソロモンの腕の中で、子どもはしばらく泣いていた。

*  *  *


 落ち着いてから、子どもはソロモンに訊いた。

   お兄ちゃん、どうして助けてくれたの?

   さぁ…わかりません。
   ただ寂しさを紛らわしたかっただけかもしれません

 子ども相手に何を言っているのだろうと自嘲する。

   寂しいの?どうして?
   お兄ちゃん、いっぱいおともだちがいそうなのに
   
   いませんよ

 ソロモンは短くきっぱりと答えた。

   おともだち、いらないの?

   好きになって欲しい人は、いましたよ
   その人は一度僕のことを好きになってくれたけど…、
   僕のことを大嫌いになってしまったんです

   どうしてお兄ちゃんは、その人に嫌われたと思うの?
   嫌いって言われたの?

   一度もないですよ
   あの人がそう言ってくれた方が、
   きっと僕は楽だったのでしょうけれど……
   その人に、好きな人に、僕は酷い事をしたんです
   その人に嫌われないわけがないでしょう?

 子どもは難しい顔をした。分かるわけがないか、とソロモンはため息をついた。

   お兄ちゃん。暖かいね……

   冷たい血が流れているかもしれませんよ。
   ひょっとしたら、森に住んでいるお化けかも。

ソロモンが言うと、子どもは初めて笑顔を見せた。
   
   そんなことないよ。お兄ちゃん、優しいもん
   もしお兄ちゃんが森のお化けさんでも、お兄ちゃんのこと、
   大好きだよ

 土地の境につくまでの間、子どもはソロモンの腕の中でじっとしていた。

*  *  *

 土地の境につくと、ソロモンは森の中から、門の近くに誰もいないことを確認した。そして門の脇にある、指紋照合パネルとパスワードパネルを操作して門を開ける。
 塀を飛び越える方が遥かに楽だが、子どもがいるのでさすがに無理だった。

 門から出て、少し離れた所に着くと、ソロモンは子どもを降ろした。
 子どもはしっかり、自分の足で立った。

  本当は送ってあげたいんですが…

 ソロモンが続けようとすると、子どもは笑顔で言った。

   大丈夫
   痛い思いもいっぱいしたけど、
   優しいお兄ちゃんに会えて良かった
   ありがとう
   でもね、お兄ちゃん

   何ですか?

   一つだけ、お願いがあるの

   お願い、ですか?

   おうちに、帰して

 子どもが言うと、ソロモンは苦笑した。さすがに「さっきそれは出来ないと言っただろう!」とは言わない。なんと言えば良いだろうかと考え、それを口にしようとした時、子どもの言葉に遮られた。


お前にしか頼めないんだ。ソロモン


 ソロモンは動きを止めた。目の前にいる碧色の瞳を持つ子どもを、ソロモンは信じられないと言った表情で見るしかなかった。



もし、私が死んでから、一度でも悲しんでくれたなら、私を故郷に還してくれ



あなたは


 ソロモンは子どもに手を伸ばした。子どもの体をとらえる筈の手は、無残にすり抜けた。もう一度、とふれたい、と無駄な努力を繰り返すソロモンに、子どもはにっこりと笑って言った。



「酷い事」をされた私がこんなことを言うと…。
お前は、私を愚かだと思うかもしれない。見下すかもしれない。 
 どう思ってくれても構わない。
でも、全部、
『私が言ったこと』は本当だ
それだけは、忘れないでくれ


 ソロモンの手が、空しく子どもの身体を何度もをすり抜け続ける。



どうして、教えてくれなかったんですか


知りたい事が、あったからだ


 
 子どもの姿が消えた。ソロモンの瞳孔が、一気に開いた。
 


生きている間に
あとほんの少し勇気をだせていたら
私はお前の隣にいたのかもしれないな……


 ソロモンの耳にその言葉が伝わり終わると、子どもが消えた場所を、雲の隙間から顔を覗かせた太陽が、きらきらと照らした。
 ソロモンは、かつてカールの一部だった粒子の入ったシャーレを、胸ポケットの中から取り出した。


カエリタイ


 シャーレの中から聞こえた声を聞くと、ソロモンは膝から崩れ落ちた。



『脚も腕も背中もお腹も全部痛いの。でも左腕が一番痛いの』



 子どもの言った言葉を思い出して、ソロモンはシャーレを見たまま、言った。


左腕が、一番痛かったんですね…っ…


右腕でもなく、腹でもなく、脚でもなく。

他の何処でもない、左腕が。





「帰郷~いなくなってしまった男の子の話~」に続く

2007/11/29
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