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もう一つの話 PART・B



ソロモン・ゴールドスミスという名の軍医は六年前に死んだことになっている。アンシェル・ゴールドスミス、マルティン・ボルマン、グレゴリー・ラスプーチン、そして翼手の女王、ディーヴァの四人、そして本人―ソロモン以外にとっては。

 シュヴァリエになった当初、ソロモンは擬態した状態をうまく保つことができず、元の金髪碧眼そのままの姿で、某国軍の軍医として働き始めた。
 軍医という立場を利用しての人体実験、また実験材料の確保がその主な目的で、他にはソロモンを早く「使える」騎士にしたいというアンシェルの思惑もあった。更に、ソロモンの大学時代の恩師が持つ、血液学研究資料の奪取という目的もその中に含まれていた。そんな時ソロモンが出会ったのが、かつてソロモンが在学していた大学に留学に来ていたカールだったのだ。


 ソロモンが軍医として働き始めた8ヵ月後、問題になったことがあった。
 教授とカールはソロモンを深く知りすぎているし、ソロモンもまた彼らと親しくなり過ぎている。それがソロモンにとって近いうちに障害となるのではないか……。二人を「処分」するべきだと言外に示すアンシェルに、ソロモンは、教授の方は類まれなる優秀な血液学の研究者であり、カールもまた、教授のサポートにつくことが予想される為、この二人の「処分」は必ずしも自分達の利益にはならない……とできうる限り見た目だけでも理性的になりながらアンシェルを説得した。
 マルティンはソロモンの意見に賛成してくれたし、グレゴリーはソロモンに同意することにはかなりの葛藤があったようだが、研究者の立場から渋々ソロモンの意見を支持した。
 三人の意見にアンシェルは逡巡してから、

「ディーヴァ、シュヴァリエを今すぐ増やすことについて、どう思われますかな?」

 話をディーヴァに振った。
 ソロモンは戦慄した。グレゴリーは後ろで、

「それは有りかもしれないな。だがディーヴァの寵愛が分散することだけが唯一の問題だ」

 と能天気に言っていたし、マルティンは急に無表情になっったから表情の読みようがなかった。
 ディーヴァはあまり面白くなさそうに、人形の髪をくるくると指で弄びながら、天井を見上げていた。ディーヴァの返答を待つ間、ソロモンの首筋を異様に冷たい汗が伝っていた。
 ディーヴァの返答次第では、例えマルティンがソロモンの味方についても(グレゴリーは先程から、シュヴァリエが増えた際のディーヴァの寵愛の分散に対する懸念について、一人で延々と何かを呟いていたから期待できない)形勢が逆転する。指先を小刻みに震わせながらも、ソロモンは辛抱強くディーヴァの答えを待った。

「ねぇ、ソロモン、あなたはどうしたいの?弟はいらないのかしら?」

 最悪の答えを予期していたにも関わらず、予想外のことをディーヴァに訊かれて、ソロモンは思わず「え?」と聞き返すところだった。
 ディーヴァはこのことに関しては特に興味がなさそうだった。おそらくアンシェルが「新しいシュヴァリエを増やしますがよろしいですね?」と訊かれれば、「いいわよ」と返しただろう。
 アンシェルが何かを言う前に、自分の意志を示せば、おそらく今のディーヴァならば「それでいいわ」と答えるだろう。アンシェルに関しても、今どうしても新しいシュヴァリエが欲しいというわけではないのだ、とソロモンはアンシェルの態度から感じ取っていた。
 だからソロモンは、迷わず即答した。

 「いりません」


 その後の対応は迅速だった。
 カールをどうするにしろ、そろそろゴールドスミス家の遺産配分や、情報操作の為に、ソロモン・ゴールドスミスという人間は一度「死ななければならなかった」
 これでいいのだとソロモンは思った。
 無限の時を生きる自分と、限りある命を生きるカールでは、必ず決別する時が来るのだから。
 丁度よかったのだ自分に言い聞かせた。



*   *    *
 


 ある日、ソロモンは墓地に続く道を歩いていた。
 特に理由はなかったのだが、『自分の墓』の近くに寄ったので、花でも手向けようかと思ったのだ。ただの酔狂だ。
 自分の『生前』の姿を知っている者がいないとも限らないので、ソロモンは髪と目の色を鳶色に変えている。しかし、自分の墓が眼前にあるのは一体どんな気分なのだろう、とソロモンは考えた。自分の墓がある場所は一応知ってはいたのだが、実際に見たことはなかった。

 六年前、自分が『死んだ』当時、墓を見に行こうかとも思ったのだが、
『すばらしい墓だったよ、ソロモン・ゴールドスミスの墓は!』
傑作だ!とグレゴリーが高笑いしながら口にしたその言葉にうんざりして、結局今まで足を運ばなかったのだ。
 しかしこの地からどんなに離れても、おそらく悲しみに沈んだであろう恋人のことを忘れた日はなかった。
 後追いをするような人ではないということはソロモンが一番よくわかっていたから、それは心配していなかったが、それでも本当は、カールがどう生きていたのか知りたかった。
 だが一度、カールがどこにいるのか、何をしているのか知ってしまえば、ソロモンは自分の翼を使って飛んでいってしまいそうだった。そういう意味ではアンシェルの危惧は間違っていなかったと言える。


 銀杏の木々の間を吹き抜けていく風の音だけを聴きながら、自分の墓石が見えた時、ソロモンはその場に凍りついた。
 自分の墓石の前に、青年が佇んでいた。
 アジアの血を色濃く感じさせる顔に、艶やかな黒髪。カールだった。
 思考が停止しているうちに、いつの間にかソロモンは歩き出していた。
 ソロモンの足音に、カールは顔をあげた。
 ソロモンの思考が回復したのはこの時だった。

 一瞬で、自分の設定を作り上げる。
 自分は「ソロモン・ゴールドスミス」に世話になっていた退役軍人で、今日は久しぶりに墓参りに来た。ちなみに軍医の死に関しては機密事項なので、何も言えない。

「…軍医のご友人、ですか?」

 白々しい質問だと思いながら、こんな時ですら微笑を浮かべられるようになってしまった自分は、人間として進歩したのだろうか、退化したのだろうかと考える。…もう、人間ではないけれど。
 ソロモンに場所を譲るように、後ろに下がったカールに頭を下げ、花を捧げてから、ソロモンは瞳を閉じた。

 この墓石の下に、ソロモン・ゴールドスミスの遺体はない。
 わかってはいるけれど、自分はここに何かを埋めてきたのだと思う。
 自分の一部はもう既に切り離されて、ここで眠っている。
 切り離された傷跡は今もうずいている。

「あれから六年ですか……」
「……そうですね」

 カールの微笑とは、こんなものだったろうか、と一瞬思ってから、すぐに考えを改める。
 当たり前なのだ、自分は今、カールにとって他人なのだから。
 六年前のソロモンに向けられていた笑顔は、その他大勢が見られるようなものではなかった。
 おそらくこの国で、カールのあの笑顔や、一見大人しそうに見えるのに、その下に隠された気性の激しさを知っているのは自分だけだろう。
対他人用の微笑を、カールが自分に向ける日が来るとは思っていなかった。

 ソロモンはカールと他愛のない言葉を交わしながら、六年という時間の流れを感じずにはいられなかった。カールの持っている空気は、六年の間に確実に変わった。
 しかしそれは年をとった、というよりは齢を重ねるといった方が適当なものだった。
 ソロモンはカールに手を差し出した。

「軍医が亡くなられた年に軍を除隊しまして、今はしがない歴史学者です。…左手で申し訳ないですが」

 ソロモンはたった今考え付いた名前を名乗った。

「カールです。カール・フェイオン。…ご存知だとは思いますが」

 カールの手は、完全に冷え切っていた。
 どうして、寒がりなのに手袋をつけないのだろうと、カールを心配しながら、体温を少しでも分けられるようにと、すぐには手を離さない。


 いくら毛布をかけても凍えるような夜に、カールをこの腕に抱きしめていたのを覚えている。
 雪と無縁の地から来た恋人には、この地の寒さは地獄のようなものだったのだ。
 小さく「…寒い」と泣きそうな声で、カールは身体を寄せてきた。
 
 愛しい人を寒さという名の悪魔の抱擁から守ろうと、身体を密着させて、子守唄のように睦言を囁きながら、カールが穏やかに眠りに落ちるのを見ていた。思いのほか冷えきっていた指先を手で包みながら、良い夢を、と何度も願った。
 眠れない自分の身体を呪い、たった一人で長い夜を覚醒して過ごしながら、カールの夢の中に行ければいいのにと何度思ったことだろう。

 今の自分の腕は、カールを抱くために在るのではない。
 空気すら凍りつくような夜に、カールがその身を震わせていたとしても、自分は何もできない。カールが震えている事実を知ることもない。
 カールと別れてから、空から白銀が舞い落ちるたびに、思うのだ。
 この世界のどこかで、カールが独りで、震えているのではないかと。
手のひらにふわりと落ちてきた雪を受け止めながら、ソロモンは空を見上げて、問いかけた。

  カール、元気にしていますか?と。


 いつまでも「握手」をしているわけにもいかず、ソロモンは名残惜しさを覚えながらも、カールの手を離した。

*  *  *

しばらく立ち話をしてから、適当な理由をつけて、ソロモンは墓標の前に立つカールに背を向けた。
離れたくないという想いがなかったと言えば嘘になる。
だが、墓標から声が聞こえたのだ。

 
  お   前   は  死  ん  だ  ん  だ  よ


 ソロモンは歩き始める。カールから離れた場所に行く為に。

 カールと愛し合うようになってから、ずっと思っていたことがある。
 自分は、人間に、世界に絶望して、シュヴァリエになることを決めた。
 
 だが、もし、人であることをやめる前にカールに出会えていたら、どうなっていたのだろうと思うのだ。

 もし、ほんの少し、もう少しだけ早くカールに出会えていれば、今この身に流れている血は、違ったものだったのかもしれない。
カールと出会うことで、少しでも―自分を好きになれたのなら。

 そして、自分はカールと同じ歩んで、同じ時間を身体に刻んでいたかもしれない。

 だが、過去を変えることは適わない。
 寒さに震える恋人を暖めることもできず、何からも守ることもできない自分に、何か一つ、たった一つ、願うことが許さるならば。
 その想いを言の葉に乗せよう。どうかこの願いが届くように。

ソロモンはカールに背を向けたまま立ち止まると、そっとその願いを口にした。




「…どうか、お元気で」



銀杏の葉が落ちるのを見ながら、ソロモンは思った。
死で汚れた土を、銀杏の金色が覆い隠してくれればいい。
そうしたら、この地は、太陽に照らされて美しく輝くだろうから。



PARTCに続く





PARTC



 赤い粉が舞う。
 さらさらと風に流れていくあなたの命を目の当たりにしながら、考える。
 
 もう一つ、こんな道もあったのだ。

 これは僕の妄想、希望、作り話。

 老いる身体と、そうでない身体を持つ者とに、別々に生きる結末の物語。

 この物語の結末の後、多分僕は、美しい思い出だけを抱えて生きて行くのだろう。僕達は憎しみ合うことも、傷つけあうこともない。

 でも、傷つけあった果てに、今僕達が迎えた結末と、僕の作り話の結末、どっちが幸せだったかなんて、どちらか一つの道しか辿ることのできない僕達には、比べることなんて、できない。

 ひょっとしたら、他にも、道はあったのかもしれない。

 今、幸せな結末があったかもしれない道を、僕が思いつかないのは、あなたを失った言い訳を、必死に考えているせいなのかもしれない。

 最初から幸せな結末なんてなかった、僕にはどうしようもなかったんだと言い切ることができれば、僕は自分の責任が逃れることができるから。


 でもねカール、僕はずっと考えているんですよ。


 ねぇカール。





 
どこでどうすれば、僕達は二人で一緒に幸せになれたんでしょうね?







終わり。




つまりは37話後のソロモンの一人反省会ということで。



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2007/10/06
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