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地獄への組曲 3
朝の車の中。
眠らなくてもいい、というのは実に便利な身体だ。と、ソロモンはほぼ休み無しで複数のターゲットと会いながら、思った。どんなに精神が疲れようが、ぼろぼろになっていようが、身体が死ぬことはない。誰にも労いの言葉をかけられなくても、死にさえしなければ、仕事はできる。ソロモンは皮肉を込めた凄惨な笑みを浮かべてから、大学の前で車を降りた。
珍しく涼しい風が吹くキャンパスを、歩く。
まだ朝早い時間なので人はまばらで、昼の喧騒が嘘のようだ。カールと出会ってから数週間。特に深い仲というわけではないが、それなりの学友として、二人の仲は保たれていた。たまに食事を共にしたり、勉強を教えあったり。
ソロモンは、カールのことを最初は物静かな人物だと思っていたのだが、最近はころころとよく変わる表情に驚くことがある。よく笑うし、怒る時は本気で怒る。…かと思えば昼間になると花壇で花を愛でていたりする。そんなカールの様子が思い浮かぶせいなのか、こうしてキャンパスに入ると、少し落ち着く。
建物に入って、階段をあがり、講堂へと入る。
ドアを開けると、広い講堂に、ぽつん、と一つだけ人影があった。前から三列目の席で、カールが、机に突っ伏して寝ている。鮮やかなアオザイの上に、長い黒髪が広がる。いつもは項のあたりで結んでいるのだが。
ソロモンは隣に座りながら、ボロボロになったテキストを手に取った。中を見ると、あちこちに書き込みがしてある。昨日は遅くまで勉強していたのだろうか、と思いながら、ソロモンは数日前のカールを思い出す。
もっと学びたい、と語るカールの瞳はどこまでも真っ直ぐで、そんな瞳を自分が持っていたのはいつだったろうか、とソロモンは思ったものだった。自分が鏡を見る時、こちらを見返してくる瞳には、いつも諦念と虚しか映っていないから。
カールの視線は、自分が描く未来に向かって真っ直ぐに伸びている。
では、自分は?自分の視線はどこに向かっている?
悶々とそう考えながらテキストをカールの横に置くと、「んっ……」という声がして、カールが目を覚ました。目のあたりにかかる髪を軽く手で払ってから、
「……?」
寝ぼけているのか、ぼんやりとこちらを見てくるにカールに、
「おはようございます」
ソロモンは微笑を浮かべて言った。
「…おはよう」
カールは欠伸をして、体を伸ばした。
まるでネコみたいだと思いながらカールの瞳を見れば、まだだいぶ眠そうだった。こちらを見てくる瞳はどこまでも無防備で、ソロモンはそれがなんとなく可笑しかった。
だが微笑ましく思うと共に、どこか皮肉げに見ている自分もいる。おそらくカールにとっては、ソロモンは今一番危険な存在なのだ。ソロモンは狩れと指示されれば、いつでもカールを狩ることができるように着々と準備しているのだから。
「…遅くまで勉強していたんですか?」
「ん? …ああ、どうしてもわからないところがあってな…」
気づいたら朝になっていた、と言うカールに、
「…あまり、無理しないでくださいね」
ソロモンは計算しつくした笑顔と、声音で言った。心配そうに、そして優しく。
カールはうん、と頷いてから、
「お前もな」
と小さく言った。
「…え…?」
一瞬、仮面が外れそうになり、ソロモンは慌てて笑顔を貼り付けなおした。
「疲れているんだろう?少し休んだ方がいい…お坊ちゃまも色々と大変なんだな」
テキストに目をやりながら言うカールに、
「そんなに疲れているように見えました…?」
「…違ったか?なんとなくそういう気がしただけなんだが」
ソロモンの声がかすかに震えていたことには、カールは気がつかなかった。
「…当りです」
労いの言葉を、誰かから最後にかけてもらったのはいつだったろうか、と思って記憶を探ってみると、どこにもそんな記憶がない。ひょっとしたらかけてもらえていたのかもしれないが、ソロモンを心から労わってかけられた言葉は、本当に記憶に無かった。
たった一言、一言でいいと、言葉をかけてもらうことを渇望した記憶だけが鮮明に残っていた。
カールは、ふーん、まぁ無理はするなと言いながら、
「ところで、最近、変な噂が流れているから気をつけた方がいい」
「…変な噂?」
「私のことを、金髪碧眼の金持ちのぼんぼんが遊び道具にしようと近づいているそうだ」
学生というやつは。
他人のフリをして、見ていないようで遠くからよく見ている。内心歯噛みしながらも、ソロモンは表情を変えずに、
「面白い噂話ですね。当のあなたはどう思っているんですか?」
さらりと言いのけた。
「…たまに…、どうして私と一緒にいるのかと思う時はある」
お前なら、他の学生といくらでも仲良くなれるだろう?と言いながら、カールは頬杖をついて、ソロモンを見た。特になにかを疑っている、という感じではない。
「…金持ちグループと一緒にいた方がいいんじゃないのか?それに、お前は」
…いい奴すぎるんだ。
と、軽く目を反らしながら、カールは言った。ソロモンは苦笑しながら、カールの耳元に吐息がかかる距離で、
「答えを、教えてあげましょうか。どうして僕があなたと一緒にいるのか」
と囁いた。カールはそれに驚いて目を見開く。
ターゲットとして、信用させるだけならば、それほど親密になる必要はない。親密になり過ぎれば、逆に長期的な関係が望めなくなる可能性がある。何か疑惑が発生した時、すぐ修正できる程度の、浅くもなく深くもない関係が丁度いい。
もし深入りするとすれば、それはカールであって、ソロモンではない。
…それが、理想の形だ。
相手はターゲットだ。惹かれるな。深入りするな。シュヴァリエとしての使命感が警告する中、ソロモンは言葉を紡いだ。
「カール」
碧の双眸を、ソロモンはカールのそれに近づける。
「…キスしても、いいですか?」
欲しい。他のものが何も見えなくなるぐらいに、真っ直ぐに前を見る瞳の持ち主が。
「!?」
驚愕に体を凍りつかせるカールの肩に、ソロモンは手を置く。
「お嫌でしたら、遠慮なく僕を思いっきり殴ってください」
カールが何も反応できないでいる中、ソロモンはゆっくりと、顔を近づける。
――もしこれで、ターゲットとしての仲を維持できなくなったら、兄さんに頭を下げよう。
今まで一度たりとも兄の命令外のことをしなかったソロモンが、そんな不謹慎なことを考える。カールの首に手を回して、カールの意志を確認するように、碧の瞳をすっ、と細める。
なんの衝撃もこないことを確認してから、ソロモンは自分の唇を、カールのそれにそっと乗せた。
肩にやっていた手を、カールの背へと滑らせて、硬直している体を抱き寄せながら、軽く、吸う。その甘さを味わってから、カールを解放すると、カールは唇に手をやりながら、何も言えずにソロモンを驚愕の瞳で見た。
「…僕の答え、受け取っていただけましたか?」
カールが何か言おうと口を開いた時、講堂のドアが開いて、三人組の学生が入ってきた。カールは、さっ、とテキストの方に目をやって、顔を真っ赤にしながら、必死に横を見ないように、テキストの文章を読み始めた。
…兄さん、今、約三名の人間に対して、殺意が沸きました。
講義が始まってからというもの、カールはいつも以上に、恐ろしく真剣に、教授を凝視していた。教授がカールから思わず目を反らしてしまう程に。
* * *
講義が終わり、多くの学生たちが次の授業へと向かう。いつもより妙に早く荷物を回収して、その場から逃げ出そうとソロモンに背を向けて立ち上がろうとするカールを、
「……カール」
ソロモンは阻止するように、カールの両肩に手をやった。
「…二限、ないでしょう?」
ひく、と体を震わすカールに、
「逃げないで、カール」
ソロモンはたっぷりと、甘さをこめて掠れた声で言った。
「ソロモ…」
「まだ、あなたの答えを聞いてない」
一瞬、間があってから。
「嫌だったら、殴れと言ったのはお前だろうが…」
ぼそぼそとした声が聞こえてきた。
「…それって…」
「言わせるな」
―――カール。
他の生徒がいなかったら、ソロモンは力の限りカールを抱きしめているところだった。
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2006/08/29