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   地獄への組曲 5


「カールの部屋に遊びに行ってもいいですか?」
 と、廊下で何気なくソロモンが訊くと、カールは手に持っていた荷物を全てばらばらと落とした。数人の学生が何事かと一瞬振り向くが、すぐに興味を失って去っていく。カールの驚きぶりに苦笑しながら、ソロモンは荷物を拾うのを手伝って、
「別に、何かしようというわけではありませんよ」
 ソロモンはカールの顔を覗きこみながら言った。明らかにその顔は赤くなり、強張っていた。
 ―――いつまでも、うぶなんですから。
 さすがにそれは声にだしては言わなかった。殺される。死なないが。
 しかし、カールの反応も無理のないことではあった。ことあるごとに、耳元で「寝たい」などなんだと囁かれていれば、『部屋に行く』と言われて警戒するのは当然のことだった。

 講堂でキスしてから、三週間ほどたった。
 あれから少し、いや、かなりカールの口調や態度が刺々しくなった気がするが、それでも、何回目のキスでも受け入れてくれたから、まあ、そういうことなんだろう、とソロモンは勝手に結論付けていた。そういえば最近、カールによく怒られるようになった。更になぜか六日程前に、「お前に『いい奴』と言ったことを今、この場で、即刻、撤回させてもらう」と言われたのだが、気にしないことにした。

 だって、好きな人に「寝たい」と言うのは、別に悪いことではないでしょう?

「…私の家は狭いぞ。お前の家にならダースで入りそうなぐらいに」
 荷物を拾って立ち上がってから、呻くようにカールは言った。一度、「ソロモンはどこに住んでいるんだ?」と聞かれ、素直に「南部街にある洋館の一つです」と答えたら、それ以降、何も訊かれなかった。それh程、カールにとって上流層は遠い存在なのだろう。

「…構いませんよ。来週の休日はどうです?」
「ああ」
 ソロモンはその答えに満足げに微笑む。カールは、遠くまで転がっていったペンを持ってきてくれた学生に一礼した。
「…ところで、今日の午後の講義、休講なんですよね」
「そうだが…」
 何を企んでいる?という風にカールは目を細める。
「デート、しません?」
「…………」
 ソロモンを何か別の生き物のように見てくるカールに、
「言葉のままですけど」
 僕は無罪です、と主張しようとイノセントな微笑を浮かべる容疑者に、
「…どこに?」
 刑事が疑わしげに睨みを利かせる。
「ホアンキエム湖なんてどうですか?」
「遠い」
「車で行くんです。すぐ呼び出せますから」
「…わかった」
「電話を借りてきます。カールは先に正門で待っていてください」


 車に乗り込むまで、特にトラブルはなかった。
 来た車が二人乗りだったことで、ソロモンが運転手を追い出しことをカールが咎めたこと以外は。
「あれも運転手の仕事ですよ。…ああ見えて、結構高級取りなんですから」
 ぷい、と助手席で横を向いているカールに、ソロモンは車を運転しながら言った。
「…黙れ、ぼんぼん」
 低い声で言うカールに、ソロモンはどうしたものかと考えながら、
「…こういう車に乗るのは初めてですか?」
 違う話題をだしてみた。
「金持ちと違ってな」
 一瞬で話をそこに戻される。ソロモンは苦笑した。
 ソロモン・ゴールドスミスとあろう者が、相手に会話の主導権を握られるとは。自分を知る者が今見ていたら、そう言うかもしれない。それでもこの状況が、ソロモンにはどこか心地よかった。会話を計算しなくてもいい。相手がどうでるか、何回りも先回りして、言葉を発さなくてもいい。ただ、普通に話が出来る、この時間が。
 実は昼食を持ってこさせたんですが。なんて言ったら、カールはどう答えるだろう。思わずそれに、くす、と笑ってしまったのがカールに聞こえていたらしく、カールの機嫌は更に悪くなった。

 道が空いていたお陰で、ホアンキエム湖には早めについた。
 車を降りてすぐの時は、カールの機嫌は相当悪かったが、青空の下、湖の周りを散歩しているうちにだいぶ機嫌は直ったようだった。

「カール」
「ん?」
「実はお昼、二人分持ってきてあるんです」
「…作らせたのか?」
「まぁ、そんなところです」
「………」
 ソロモンが持っている紙袋を複雑そうな目で見てから、
「…作ってくれた人に、礼を言っておいてくれ」
 カールは言った。
「…わかりました。あのベンチで食べましょう?」
 ソロモンが促すと、カールは頷いて、湖畔にある白いベンチに先に腰掛けた。丁度、そこは木陰になっていて、周りよりだいぶ涼しかった。
「…今日は、ありがとうございます」
 カールの隣に座りながら、唐突にソロモンが言うと、
「…何が?」
 カールが訊いた。
「一緒に、ここに来てくれたことです。実は僕も色々あって…、少し気分転換したかったんです」
 言いながら、サンドイッチを手渡す。カールは小さく、ありがとう、と言って受け取った。
「金持ち同士の付き合いか何かか?」
 ソロモンは頭に、他のターゲット達の顔を思い浮かべた。
「…まぁ、そんなところです。結構、疲れるんですよ。気を使いますから。…心理戦というか…。常に気をはってないといけませんから」
カールと出会えていなければ、自分は相当追い詰められていただろう。
「………」
 カールは、ソロモンを疑うような目つきで、じぃ、と見詰めてきた。
「カール?」
「……お前が、人に気を使って、疲れる???」
 カールは怪訝そうに言った。
「…何故、そんなに疑われないといけないんでしょう」
ソロモンは本当にわからずに、訊いた。
「………」
 フェイオン検事は何か考えるような目をして、
「私と、最初に会った時は…、少しは気を使っていたようだが、今では……」
 ソロモンを上から下までスキャンするように見てから、
「ふてぶてしい」
 意見を述べた。
「え、僕、ふてぶてしいんですか?」
 異議あり、記録から削除してください。とソロモンの頭の中で弁護士が言った。
「…少なくとも私に対する態度は、ふてぶてしいことこの上ない。しかも、私をからかって楽しんでるだろう?」
「…そういうつもりはないんですが、まぁ、でも…」
 ソロモンはカールの頬に手をやって、
「あなたと話していると、本当に楽しいのはたしかです」
 にっこりと笑って言った。カールは自分の頬にやられた手をどこか居心地悪そうに見てから、
「…私は…」
 言おうとして、ソロモンの顔を見てから、言い淀んだ。
「『私は』?」
 ソロモンが訊くと、カールは、
「なんでもない」
 人目のあるところで触るな、外でそういうことをするなといつも言っているだろう、と言ってソロモンの手を払いのけてから、誤魔化すようにサンドイッチを食べ始める。
「ええ?教えてくださいよカール」
「……」
 カールは黙々とサンドイッチを食べ続ける。
「教えてください」
「………」
 カールは沈黙を決め込もうとしたのだが、それからソロモンがしつこく訊いてきたため、
「その内教えるから…、今は訊くな…」
 顔を赤くしながらそう言った。
 悪いことではなさそうだと思いながら、ソロモンは笑った。
「じゃあ、ちゃんといつか教えてくださいね」
 カールは頷いた。
 顔を更に赤くしながら、俯くカールをソロモンが微笑ましそうに見つめていた。こうやって、いつまでも話していられたらいいのに…。

 カールが食べ終わってから、しばらく二人でベンチに背をもたれかけながら、ぼんやりと空を見ていた。もくもくと鮮やかに白い雲が、青を背景に浮かんでいる。木陰になっていないところには容赦なく日光が降り注いでいるが、湖の周りには常に人が絶えない。
「こうやってのんびりできるって、いいですね」
「そうだな」
 ソロモンは、カールの手の上に、自分の手をそっと乗せた。カールがちらり、とソロモンを見たが、何も言ってこなかったので、ソロモンはその手を握った。
 雲がゆっくりゆっくり時間をかけて、形を変えながら空を流れていく。

 …五番目のシュヴァリエは、誰?

 確実に、時間は流れていく。いつまで、自分はカールと静かな時間の中を共にあることが許されるのだろう。終焉を告げる鐘の音は、そう遠くない未来に鳴り響く。なら、自分は短い時間の間に何をすればいい?ぼんやりとそんなことを考えていると、
「ソロモン!」
「はい?」
 カールが何かを急に思い出したように、体を起こした。ソロモンを覗き込んでくる瞳は、子どものように生き生きとしていた。
「付き合って欲しいところがあるんだ」
「いいですよ…では車を…」
 ソロモンがゆっくりと体を起き上がらせて言うと、
「歩いて五分ぐらいの所だから、またここに戻ってくればいい」
 カールは先に歩き始めた。
「どこにいくんですか?」
「Nha hat lon!」
 楽しそうにベトナム語で言いながら、カールはソロモンの先を颯爽と駆けていく。晴れ渡った青空の下を、アオザイの裾が風に靡く。
「あ………」
 反応が遅れて、ソロモンはすぐにはついて行けなかった。
 ソロモンにはわからない言葉(Nha hat lon!)を使い、離れていくカールに、思わず「待って!」と叫びたくなる、たった一人で取り残されたような感覚を覚えた。走ればすぐに追いつける距離でしかないのに、今すぐ追いかけなければもう二度と会えないような気がした。ハノイの風景の中に、カールが一瞬にして溶けて消えていく映像がソロモンの頭の中で映される。一度溶けてしまえば、もう探しだすことはできない。溶けてしまったものが、同じ形に戻ることは決してないのだ。

 ……溶ける?
 違う。とソロモンは思った。溶けたのであれば、その痕跡は残る。その一部が、どこかを漂っている筈なのだ。カールの場合は違う。カールはその痕を残さない。文字通り、彼は消えてしまうのだ。
 ソロモンはカールを急いで追いかけた。
 カールは振り返らない。ただ、自分の目的地に向かって走っていく。

 ついたのは、大劇場だった。もともとパリのオペラ座を模して1911年に作られた劇場だが、パリのそれに比べてかなりこぢんまりとした印象がある。真昼の太陽に照らされて、白の壁が眩しい。
「このあたりに来た時は、必ずここに寄る」
 眩しそうに目を細めながら、それでも楽しそうにカールは言った。
 今にも飛び跳ねるんじゃないかと思うぐらいに、うきうきとした様子のカールに、
「お好きなんですね、ここ」
 ソロモンは言った。
「…いつか。自分の力で本物のオペラ座に行きたいと思っているんだ。だからここを見ていると励みになる」
「オペラ座ですか」
 ソロモンは微笑を浮かべた。こうやって、未来のことを語るカールがたまらなく好きなのだ。その瞳が真っ直ぐに未来に向かう、その瞬間が。
「カールなら、観客というより、俳優の方が似合う気がします」
「………」
 カールはソロモンの言葉に、悲しげに目を伏せた。
「カール?」
 急に黙り込んで俯いたカールを、ソロモンが心配そうに覗き込む。
「色々とな…昔のことを思い出して」
 カールはしばらくソロモンを何も言わずに見た。ソロモンもその視線を受け止める。
 少し強めの風が互いの髪を揺らして、落ちていた木の葉を飛ばした。

「昔……、舞台俳優になりなかったんだ」
 舞台の中央で拍手喝采を浴びているカールを頭に思い浮かべて、
「『今もなりたい』の間違いではなくて?」
 ソロモンは訊いた。
「お前の言う通りかもしれない…どこかでその夢を引き摺ってる」
「あなたらしくないですね…。本当になりたいなら、今からでも遅くはないんじゃないですか?」
 カールはしばらく黙ってから、
「…ここが、駄目になってる」
 自分の咽喉を指差した。
「普通に話す分には大丈夫だが…それ以上になると声がでなくなる」
「先天的なもの…ですか?」
「いや…、舞台俳優を目指そうとして、我流の間違った練習で痛めた。自業自得だ」
「………」
 ソロモンが何も言えないでいると、
「まぁ、それでも…。観客として関わっていくのも悪くない」
 カールは目を細めながら、大劇場を見た。
「オペラ座に行くなら、その前に超えるべきハードルはいくつもあるがな」
 ここの劇場とは料金の桁が違うからな。と言いながら、カールは微笑んだ。
「自分の力で必ず行ってみせるさ。その時はお前も誘ってやる!」
 今二人の上で光を降らせる太陽のように、カールの笑顔が輝いた。
 ソロモンはただ、その輝きを身に受けることしかできなかった。

 ズット ズット。コンナ太陽ガ、自分ノ側ニイテクレレバイイノニ。
永イ時ノ中ヲ、ズット

 でも……。
 …五番目のシュヴァリエは、誰?

 カールを欲しいと強く望むたびに、ソロモンの目の前に、現実という名の番兵が立ち現れる。カールがシュヴァリエにならなければ、どんな形であれその先の別れは絶対に避けられない。
 シュヴァリエなれば、カールと同じ時間の中を生きられる。しかしその生は、カールにとっては実験動物としての生。…それでも、カールに自分と一緒に同じ…永い時間を生きてほしい、と思う自分に吐き気がする。カールには幸せでいてほしい、笑っていてほしいという思いは本当なのに、カールを地獄に引きずり込んででも、一緒にいてほしいと願ってしまう自分に。

 ねぇ、カール。どうして僕たちは一緒に幸せになれないのでしょう?

「…ソロモン?」
「え?」
 ぼーっとしていたのだろう、ソロモンの顔を今度はカールが心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫か?世界の終わりのような顔をしていた」
「…大丈夫です。すみません。少しぼーっとしてしまって」
 ねぇ、カール。あなたをぼろぼろにしても、それでも一緒にいたいと思ってしまう僕に、あなたを想う資格はありますか?ソロモンが心の内でそう問いかけている時、カールは大劇場を見上げていた。

「ソロモン」
「はい」
「この前、訊いたな。私の「目標」がなにかと」
「ええ」
「ここに来ると…。その「目標」の為に、自分がしている苦労も、大したことのないように思えてくるんだ…。本当に、ここからは沢山のものをもらっている」
 カールはソロモンの方に向き直った。一度目を閉じて、少し息を吸ってから、ゆっくりと瞳を開ける。カールの黒髪が風に流れた。さらさらと音を立てて、絶えず流れる川のように。
「……フランスに、留学したいんだ」
「…」
「難しいのはわかってる。費用もかかるが…、支援してくれるという方がいるんだ」
 目を丸くしたソロモンの意図を違う方向でとって、カールは言った。
「あちら側にださなければいけない書類や論文は沢山あるし、成績も落とせない…。特にあの大学は本当に難しいからな…今は、やるべきことをやるだけだ…」
 カールは劇場の方を、目を細めながら見上げた。
「それでも、不安がないわけじゃない。…私より成績が上の奴はいくらでもいるし…」

 ねぇ、カール僕は……。
 そうやって、未来を真っ直ぐに見詰めるあなたが、大好きなんです。
 そして、障害物があってもなぎ倒してゆけるだけのエネルギーがあるあなたが。
 だから、あなたの願いが叶うことを心から願っているのに。
 僕の願いは、あなたの望みを奪うことと同義。
 ねぇ、カール。僕は、どうすればいいんですか?

「カールなら、大丈夫。行けますよ。いつもあんなに頑張ってるんですから」
 告げたこの言葉に、嘘はなかった。ただ、「あなたがシュヴァリエに選ばれさえしなければ」が抜けていただけだった。
「…ありがとう」

 照れくさそうに言うカールに、ソロモンは微笑んだ。
 微笑みの下に、全てを隠して。


 …五番目のシュヴァリエは、誰?


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2006/08/30
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