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「カールの時間、僕がもらいますから、覚悟しておいてくださいね」
 残された時間は、あと一週間。



   <地獄への組曲 13>




 互いに重圧から解放された数日間は、幸せとしか言いようがないものだった。
 勿論ソロモンの頭に、すぐにやってくるカールとの別離のことが頭の中にないではなかった。それでもあの短い日々は、ハノイの透き通った青空の下で、一瞬一瞬がきらきらと輝いていたのだ。怖いぐらいにカールが開放的だったし、自分もそうだった。

 話したいことが、たくさんあった。
  (それは、無限に)

 一緒に行きたいところが、たくさんあった。
  (カールの生まれた場所に、二人で行ってみたかった。
   というより、故郷に帰ったカールを見てみたかったと言う方が正しいかもしれない。
  カールが行きたいと願ってやまない、フランスのあの場所にも、二人で行きたかった)

 カールに見せたい場所が、沢山あった。
  (カールにだけ、そっと教えたかった。誰も知らない、自分だけが知っている美しい場所を)

 そんなソロモン想いがあろうとも、ディーヴァのやってくる日が延びることはなく。
 特別な場所に行くこともなく、二人で今までと変わらない穏やかな数日間を過ごした。
 大学で会って、共に食事をとって、たまに買い物に行って、話をして、そして寝て……。

 他愛の無いことで笑って。
 (ほんの少しだけ勉強したベトナム語を、カールに聞いてもらった。だが、ソロモンは自分が意図したところとは違うことを口にしたらしく、聞いたカールは泣きながら爆笑していた。ソロモンが自分は今なんと言ったのかと訊けば、笑いが止まらないといった様子で「知らない方がいいこともある」と涙を拭いながらカールは言った)

 悪戯がすぎて、カールを不機嫌にさせて、でもまたその後で笑って。
(プレゼントだと言って、フランスの女物の帽子を数種類渡したのだ。飾りたれられた帽子達を見て、カールは不機嫌だったが、そのうち互いに相手に帽子をかぶせあって、「お前(あなた)の方が似合う」と言い合った)

 くすくすと二人の秘密を笑いあって。
 (大学構内のひと気の無いところで何度もキスをした。以前のカールなら考えられないことだが、この時カールは確かに笑っていた。夕日が綺麗に見えるというカールの秘密の場所を教えてもらった時も、そうだった)

 どうしようもなく幸せすぎて、笑みを抑えることができなくて。
(腕の中で、幸せそうに眠っているカールを見た時…いや、一緒にいたと時間は全てと言ってもいいのかもしれない)

 短い期間だったが、本当に、楽しかったのだ。


*   *   *


『六日後の夜、次の日の朝まで空けておいてもらえませんか』
『プレゼントですよ。あなたへの』

 明日の夜、ディーヴァが来る。

 これからカールに「プレゼント」を渡しにいこうという夕方。ソロモンはカールを迎えに行く直前まで、自宅で鏡を見ながら微笑む練習をしていた。
 「では、また明日」と言う時の、ごく自然な笑みの練習だ。
 明日の朝、最高の演技-いつもと全く同じ微笑を浮かべて-で、カールといつも通り別れる為に。
 そこには悲しみも涙もあってはならない。
 ソロモンにとっては、カールに最後に会える日であっても、カールにとっては「またソロモンに会える」日でなくてはならなかった。カールは妙に鋭い時があるから、こちらが完璧にいつもの別れを演じなければ、ソロモンの異変に気づいてしまうだろう。「では、また今夜か明日、会いましょうね」という空気以外が二人の間にあってはならないのだ。

 別れの悲しみに気づかれて、

「何かあったのか?」

 とカールに訊かれれば、ソロモンは暴走するかもしれなかった。真実を全てぶちまけてしまうかもしれない。「別れたくない、ずっと一緒にいたい」と泣きつくかもしれない。その結果が何をもたらすかは…考えたくもなかった。
 カールはおそらく留学の審査には通っているだろうから、またフランスで会えるかもしれない。
 だから、
「実はすぐフランスに帰らなければならないんです。あとで、連絡先を教えます。また、あちらで会いましょうね」
 と言うこともできた。細心の注意を払って兄達にばれない様に会うことも不可能ではない。
 だが、もう潮時なのだ。
 五番目のシュヴァリエが列せられ次第、自分はこの地を離れなければならない。「ソロモン=ゴールドスミス」は、もうカールと会うべきではないのだ。

 このままカールと共にいれば、自分の身が人間ではないことが、いつかはばれるだろう。
 血を必要とし、傷などすぐ直り、そして衰えることのないこの身体の異常さを、恋人として傍にいる人に隠し続けるのは難しい。 それは、隠すことそのものが難しいというよりも、愛する人を騙していることへの罪悪感によるところが大きい。

 それに、自分は主の為なら、ためらいなく人を殺せる男なのだ。そして、シュヴァリエになる意志の無い人間を、騎士として、そして実験用の道具として主に捧げようとしている。カールは、こんな人物と共に在るべきではない。
 自分という闇にカールを引きずり込みたくはなかった。…いや、どこかで本当は、一緒に堕ちてほしいと願っているのかもしれない。ただ、それ以上に、カールには、日の当たる場所を歩んで欲しかった。

 ソロモンは目を閉じて、カールと二人で大劇場に行った日の事を思い出した。

 青い空の下で、カールが笑っている。
 
 カールは明るくて、暖かい場所にいるべき人間なのだ。
 
 今こそ、カールをソロモンから解放して、同じ時間を生きる者達の元へと返す時。今を逃せば、自分はずるずるとその時を延ばしてしまうだろう。

 何も言わずにカールの元から去る事には抵抗があったが、別れの時間を用意すれば、その空気に自分は流されてしまうかもしれなかった。

 カールが、ソロモンの不在に気づく頃には、自分の一切の痕跡はベトナムが消えている。…それが、一番いいのだ。
 カールは悲しむだろう、傷つくだろう。それでも、自分がいなくても彼は立ち直ってくれると、ソロモンは信じていた。
 彼は、強い人だから。
 ソロモンはもう一度、鏡に向かって微笑んだ。失敗は、許されない。

 昨夜、ソロモンは一度も使っていない鍵付きの日記帳を自分の部屋の片隅で見つけた。皮製の表紙に鍵付で、「私は高級だ」と宣伝しているような品だ。日光の全くあたらない場所に紙袋に入れられて置いてあったせいか、保存状態も良好で、新品同然だった。
 誰に貰ったかも忘れた品だったし(気まぐれに自分で買ったのかもしれない)、使う予定も全くなかったから、捨てようかとも思ったが、カールが興味を持つかもしれないと思って、カールの部屋に持っていった。

 その数分後には、日記帳はカールの所有物になっていた。
 これから毎日、日記をつけようと意気込むカールを見て、そのページに、これから幸せな文字列が沢山並べばいいと、ソロモンは思った。いくら鍵を閉めても、中から幸せが溢れだしそうなぐらいに、数え切れないぐらいに楽しい思い出が詰めこまれるなら、前の持ち主には見捨てられた日記も本望だろう。そして、前の持ち主も、それを切に望んでいる。

 例え、その文字列の中に、自分の名前がでてくることがなくても。
 自分ではない他の誰かの名前が、幸せな記録と共に無数にでてこようとも。

「誰が、お前をそんな顔にさせたんだ?…そいつが、羨ましい」

 カールを初めて抱いた夜、そう言った時のカールの気持ちが、今、痛い程にわかる。
 大切な人を笑顔に出来る、自分ではない誰か。
 ソロモンは既に未来のその人物に嫉妬すらしていた。カールは一体、どんな人を片羽とするのだろう?

 心のどこかで、カールが自分以外の誰かと笑い合うことを許したくない自分がいる。自分のことだけを心において、他の者など心の中に入れてほしくはない。カールには永遠に自分に囚われていてほしい。

 ソロモンは自分の胸に手を当てて、大きく深呼吸した。

 わかっていた。
 そんなことを考えるのは、独占したいと思うことを許されるのは、カールの傍らにいることのできる者だけなのだと。
 これからカールが傷つくことがあっても、苦しむことがあっても、自分は何も出来ないのだ。知ることすらない。手を差し伸べることもできなければ、抱きしめることもできず、一緒に泣くこともできない。

 だから、願うのだ。カールを捨てる自分に許される、たった一つの願いを。
 カールが、大切な誰かと笑いあっていられますように。

 痛みも孤独も、全て自分が引き受けよう。もう、一生分笑ったから。
 もし自分の今後に幸福が残されているというなら、それは全てカールに渡してしまいたかった。

「さぁ、行きましょうか…」

 ソロモンは一人、呟くように言った。

 さぁ。

 最後の、最高の思い出を作りに行こう。



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