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DIVAがベトナムに来るまで、あと三週間。
留学準備のための書類作成と試験をカールが終えるまで、あと二週間。
<地獄への組曲 11>
「静かに入ってきてくれて、心から感謝している」
カールは振り返らずに苛々と言った。ソロモンはすみません、と言いながらソファーに座る。先程、スペアキーを使って(先日カールがくれたのだ)カールの部屋のドアを開けて、静かに閉じようとしたら、間違ってねずみ取りを蹴ってしまったのだ。
静かに入ろうとしたソロモンの努力も空しく、酷い音が無情にも狭い部屋に響き渡ってしまった。
ここのところ、カールは少しおかしかった。ちょっとしたことですぐに爆発したり、苛々とした言葉を飛ばしてきたり、かと思えば絶望したような顔で頭を抱えている時がある。浮き沈みが激しい。夢の中でまで「…書類不備が…」と呻いている。
自分も一度、似たような状況でおかしくなったことがあったから、ソロモンはカールの辛さはよくわかっていた。
並の学生、並より少し上ぐらいの留学生などいらぬとばかりに、膨大な量の、そして過酷な条件を、カールが目指す大学は課している。しかも先日、急に志望理由書への質問状と新しい題での論文を要求する手紙が来ていた。更にここにきて、在学中の大学の課題が一気にだされたらしく、カールの机の上から本の山が消えることがなくなった。
カールは睡眠時間を削れるだけ削っている。ソロモンが止めなければ、倒れるまで徹夜しかねなかった。
ぴりぴりとしているのは仕方がないことだし、カールが理不尽なことで激昂しようが大して気にはならなかった。溜め込むよりは、何らかの形で外にだしている方いい。
カールを一度抱いたきりなのが少し寂しくはあったが(キスもお預けだ)、それよりも、今はカールが無理をしすぎないように監視するのが自分の役目だと思っていた。
ターゲットの数が減ったこともあり、自分は時間的にも、精神的にも余裕ができている。今度は自分がカールを支える番だ
…と、いっても、出来ることといえば、「カール、そろそろ寝ないと」と言うことぐらいなのだが。
机の上にある時計を見れば、短針が3をだいぶ前に通り過ぎていた。
「カール、寝た方がいいですよ」
「………」
カールは無視している。いや、聞こえていないのだろう、と思い、ソロモンがカールの肩に手をやると、
「!!」
やはり気づいていなかったのか、カールはびくりと体を震わせた。
「なんだ!!」
驚かされたことに腹をたてたのか、カールが怒鳴る。
「カール。昨日も徹夜したんでしょう?もう寝ないと」
「駄目だ。寝ている暇なんて……」
「寝ないで体を壊したら元も子もありませんよ」
カールはソロモンを睨みつけた。
「…そんなことだから、おかしな夢を見るんですよ」
ソロモンがわざと冷たい声で言うと、カールの顔から、血の気が引いた。可哀相だとは思うが、仕方がない。これ以上カールに無理をさせるわけにはいかないのだ。
しばらくカールはソロモンを呆然と見つめてから、
「だから、寝たくないんだ…」
と、消え入りそうな声で言った。
「眠ると…例の夢を見そうだから?」
カールはソロモンから目を反らした。
「ああ。今寝たら、またあの夢を見そうな気がする」
本当に恐ろしかったのだろう。ソロモンはカールが悪夢に飛び起きた時のことを思い出した。体を震わせて、恐怖に表情が凍り付いていた姿を。
「では、カール。少し横になりながら話をしませんか。勉強や留学以外のことで。そうすれば気分転換にもなりますし。それから寝た方が、悪い夢もみなくなるかもしれません。眠くなったらすぐに寝てしまって構いませんから」
ソロモンが言うと、カールはしぶしぶ、わかった、と言って頷いた。
着替えてから、明かりを消して、二人でベッドに横になる。
いつもはソロモンに背を向けるカールだったが、今はソロモンの方を向いていた。
「………」
「………」
何も言わずに向かい合っていると、
「何か言え。お前が話をしようと言ったんだろう」
カールが不機嫌そうに言った。
「そうですね…」
ソロモンは考えた。
何の話をしよう?話したいこと、聞きたいことはいくらでもある。時間がいくらあっても足りやしない。
何の話をしよう……。
「カールは…。ハノイ出身ではないのですよね?故郷の話を聞かせてもらせませんか?」
「…故郷か…」
カールは思い出すように、瞳を閉じた。
ぴりぴりとした空気がすぐに、穏やかになるのを感じて、ソロモンはカールに全てを話して欲しいと思った。カールの瞼の裏に映った故郷の光景、音、香り…カールの五感が覚えている全てを。
「いつも…波の音が聞こえていた」
懐かしそうに、カールは目を開いた。
「海に行かない日はなかったな」
小さなカールが海で泳いでいるところを想像して、
「毎日泳いでいたんですね?」
ソロモンは訊いた。
「ああ…。入り江になっているところがあって、そこでよく泳いでいた。家に帰れば、海水で髪が痛むと言われて、いつも無理やり髪に油を塗られてた。そういえば、顔や体にもおかしな液体を塗られたな…」
「きっとそのお陰で、カールの髪は今でも綺麗なんですよ」
「…そうかもしれないな。ふふっ…。あの時は嫌で嫌で仕方がなかったが」
ソロモンは1週間ぶりに、カールが笑うところを見た。フランスの写真を見せた時以来だ。(その翌日にフランスの某大学からの書類が届いた)
「ずっと、帰っていないんですか?」
「…ああ」
「帰りたい?」
「いつだって、帰りたいと思っているさ…。…私の帰る場所はないが…家はもうないし、知り合いも殆ど国内のあちこちに散ってしまった。…だが、またあの海で泳ぎたい」
「…是非行きたいです。あなたの育った場所に」
その言葉は本当だった。おそらくは、叶わないだろうけれど。
連絡によれば、DIVAがベトナムに来るまで、あと三週間。
留学準備のための書類作成と試験をカールが終えるまで、あと二週間。
調査書によれば、カールの出身地はベトナム南部に位置する小さな島だった。日帰りで戻ってこられる距離ではないし、残る一週間の間、カールがハノイを離れられる日はない。
「そうだな…お前とだったら、帰ってみるのもいいかもしれない」
「では、その時は案内をお願いしますよ…。家のあった場所や、カールが遊んだ入り江…是非見てみたいです。泳いでみるのも、いいかもしれませんね」
カールが住んでいた時とは、海の色は違うかもしれない。入り江も姿を変えているのかもしれない。それでもカールが帰りたい、と思える故郷に二人で行ってみたかった。
「星が、ここよりたくさん見られるんだ。砂浜に寝そべって…、時間を忘れて星を見上げていたこともある」
「…素晴らしい」
優しい潮騒に包まれながら、二人で寝そべってみたい。
そして…。
「…あなたのような素敵な人を育んだ地を、自分の目で見てみたい」
「………」
カールは所在なさげに宙を見た。目が泳いでいる。
「本当ですよ。カール」
カールの目がどこかに溺れてしまう前に、ソロモンはカールの頬に手をやって、自分の方を見させる。カールは、ぎこちなく微笑んだ。
* * *
翌日の夜。
「何か、食べたいもの、ありますか?」
夕方と深夜の中間ぐらいの時刻に、ソロモンが言った。この時間なら、まだ市場が開いている。
「ドリアンを食べたい」
カールの言葉にソロモンは、え、と言って
「……は?ドリアではなくて?」
聞き返した。
「…ドリアン。知り合いのやつが、そろそろドリアンが安売りだといっていた…。前、一緒に市場に行った時に、最初に立ち寄った店だ…」
カールはペンを走らせながら言った。
ドリアンというと、あのおぞましい臭いで有名な果物か…とソロモンは思いながら、
「本当に食べたいんですね?」
机に向かって頷くカールを見て、ソロモンはドリアンを買いに市場へと向かった。カールの言った店の店員に話しかけて、事情を話せば、「無理しすぎんなよ」と伝言を頼まれ、よく冷えたドリアンを相当安く買えた。袋をしっかり閉めたのだが、帰り道、聞きしに勝るすさまじい匂いが流れ出てきた。
『食べる直前に切らないと、酸化してまずくなる』
とカールが言っていたため、包丁と器をキッチンで回収してから、部屋に向かった。
「…久しぶりだ」
カールは目を輝かせながら言った。
皮じゅうに棘があるので、何処から切ったものかと考えていると、待ちきれなくなったらしいカールに包丁とドリアンをとられた。仰々しい見た目のその果物は意外にも、カールが馴れた手つきで表面に軽く切れ込みを入れると、あとは簡単に割れた。
よく冷えてる、と言いながら、おいしそうに食べているカールを見ていると、
「お前も食べるか?」
カールは「美味しいぞ」といって勧めてきた。
強烈な臭いにどうしても抵抗感のあったソロモンは、最初は断っていたものの、カールがあまりにもおいしそうに食べるので、勇気をだして一口食べてみた。
……美味しかった。
新たな味覚を開拓して、ソロモンが残りの部分をかなり早いペースで食べ始めると、
「………」
カールにドリアンを奪い返された。
もちろん、食べ終わった後の換気はしっかりとやった。
「今夜はもう寝ましょう?」というソロモンの言葉に、カールは素直に従った。
明かりを消してベッドに横になりながら、腕を頭の方に回すと、カールは意図を察したのか、軽く頭をあげた。ソロモンは枕とカールの頭の間に、腕を滑り込ませる。腕枕だ。ソロモンの腕の上に頭を乗せながら、カールは、
「すまない」
小さく言った。
「…どうして謝るんです?」
「私につき合わせてしまって…あまりに眠れてないだろう?お前が寝ているところを見たことがない」
「僕のことはいいんですよ。もともとあまり眠らなくても平気なんですから。今大変なのはカールでしょう?自分のことだけ考えていればいいんです」
ソロモンがカールの黒髪に指を滑らせると、カールは気持ち良さそうに瞳を閉じて、ソロモンの手に頭をすり寄せた。
「…ソロモン…前に言おうと思ったんだが…。私はこれでも…」
カールはバツが悪そうに瞳を開けながら、言葉を切った。
「これでも?」
ソロモンが訊くと、
「感謝…してる…」
カールは小さく言うと、すぐに目を閉じた。
「………」
不意に殴られたような衝撃の後、激しい愛しさが後からきた。
今なら、すぐに抱き寄せてしまえるのだ。
「カール……」
欲情に掠れた声で名を呼び、カールの背中に手をまわすが、返事はない。
「………」
相手はソロモンの腕の中で、安心しきった顔をしながら既に眠りに落ちていた。
「寝つくのが早すぎませんか…?」
いつか言った時と1字1句違えずに、ソロモンは言った。
『拷問ですよね、これ』
そう思った瞬間、ソロモンを追い詰めるがごとく、カールが身を寄せてくる。
毎夜毎夜、睡眠時間を削って頑張っているカールに免じて、この拷問を甘んじて受けようとは思いつつ、朝までこの状態で果たして大丈夫だろうか、と少し不安なソロモンだった。
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留学準備のための書類作成と試験をカールが終えるまで、あと二週間。
<地獄への組曲 11>
「静かに入ってきてくれて、心から感謝している」
カールは振り返らずに苛々と言った。ソロモンはすみません、と言いながらソファーに座る。先程、スペアキーを使って(先日カールがくれたのだ)カールの部屋のドアを開けて、静かに閉じようとしたら、間違ってねずみ取りを蹴ってしまったのだ。
静かに入ろうとしたソロモンの努力も空しく、酷い音が無情にも狭い部屋に響き渡ってしまった。
ここのところ、カールは少しおかしかった。ちょっとしたことですぐに爆発したり、苛々とした言葉を飛ばしてきたり、かと思えば絶望したような顔で頭を抱えている時がある。浮き沈みが激しい。夢の中でまで「…書類不備が…」と呻いている。
自分も一度、似たような状況でおかしくなったことがあったから、ソロモンはカールの辛さはよくわかっていた。
並の学生、並より少し上ぐらいの留学生などいらぬとばかりに、膨大な量の、そして過酷な条件を、カールが目指す大学は課している。しかも先日、急に志望理由書への質問状と新しい題での論文を要求する手紙が来ていた。更にここにきて、在学中の大学の課題が一気にだされたらしく、カールの机の上から本の山が消えることがなくなった。
カールは睡眠時間を削れるだけ削っている。ソロモンが止めなければ、倒れるまで徹夜しかねなかった。
ぴりぴりとしているのは仕方がないことだし、カールが理不尽なことで激昂しようが大して気にはならなかった。溜め込むよりは、何らかの形で外にだしている方いい。
カールを一度抱いたきりなのが少し寂しくはあったが(キスもお預けだ)、それよりも、今はカールが無理をしすぎないように監視するのが自分の役目だと思っていた。
ターゲットの数が減ったこともあり、自分は時間的にも、精神的にも余裕ができている。今度は自分がカールを支える番だ
…と、いっても、出来ることといえば、「カール、そろそろ寝ないと」と言うことぐらいなのだが。
机の上にある時計を見れば、短針が3をだいぶ前に通り過ぎていた。
「カール、寝た方がいいですよ」
「………」
カールは無視している。いや、聞こえていないのだろう、と思い、ソロモンがカールの肩に手をやると、
「!!」
やはり気づいていなかったのか、カールはびくりと体を震わせた。
「なんだ!!」
驚かされたことに腹をたてたのか、カールが怒鳴る。
「カール。昨日も徹夜したんでしょう?もう寝ないと」
「駄目だ。寝ている暇なんて……」
「寝ないで体を壊したら元も子もありませんよ」
カールはソロモンを睨みつけた。
「…そんなことだから、おかしな夢を見るんですよ」
ソロモンがわざと冷たい声で言うと、カールの顔から、血の気が引いた。可哀相だとは思うが、仕方がない。これ以上カールに無理をさせるわけにはいかないのだ。
しばらくカールはソロモンを呆然と見つめてから、
「だから、寝たくないんだ…」
と、消え入りそうな声で言った。
「眠ると…例の夢を見そうだから?」
カールはソロモンから目を反らした。
「ああ。今寝たら、またあの夢を見そうな気がする」
本当に恐ろしかったのだろう。ソロモンはカールが悪夢に飛び起きた時のことを思い出した。体を震わせて、恐怖に表情が凍り付いていた姿を。
「では、カール。少し横になりながら話をしませんか。勉強や留学以外のことで。そうすれば気分転換にもなりますし。それから寝た方が、悪い夢もみなくなるかもしれません。眠くなったらすぐに寝てしまって構いませんから」
ソロモンが言うと、カールはしぶしぶ、わかった、と言って頷いた。
着替えてから、明かりを消して、二人でベッドに横になる。
いつもはソロモンに背を向けるカールだったが、今はソロモンの方を向いていた。
「………」
「………」
何も言わずに向かい合っていると、
「何か言え。お前が話をしようと言ったんだろう」
カールが不機嫌そうに言った。
「そうですね…」
ソロモンは考えた。
何の話をしよう?話したいこと、聞きたいことはいくらでもある。時間がいくらあっても足りやしない。
何の話をしよう……。
「カールは…。ハノイ出身ではないのですよね?故郷の話を聞かせてもらせませんか?」
「…故郷か…」
カールは思い出すように、瞳を閉じた。
ぴりぴりとした空気がすぐに、穏やかになるのを感じて、ソロモンはカールに全てを話して欲しいと思った。カールの瞼の裏に映った故郷の光景、音、香り…カールの五感が覚えている全てを。
「いつも…波の音が聞こえていた」
懐かしそうに、カールは目を開いた。
「海に行かない日はなかったな」
小さなカールが海で泳いでいるところを想像して、
「毎日泳いでいたんですね?」
ソロモンは訊いた。
「ああ…。入り江になっているところがあって、そこでよく泳いでいた。家に帰れば、海水で髪が痛むと言われて、いつも無理やり髪に油を塗られてた。そういえば、顔や体にもおかしな液体を塗られたな…」
「きっとそのお陰で、カールの髪は今でも綺麗なんですよ」
「…そうかもしれないな。ふふっ…。あの時は嫌で嫌で仕方がなかったが」
ソロモンは1週間ぶりに、カールが笑うところを見た。フランスの写真を見せた時以来だ。(その翌日にフランスの某大学からの書類が届いた)
「ずっと、帰っていないんですか?」
「…ああ」
「帰りたい?」
「いつだって、帰りたいと思っているさ…。…私の帰る場所はないが…家はもうないし、知り合いも殆ど国内のあちこちに散ってしまった。…だが、またあの海で泳ぎたい」
「…是非行きたいです。あなたの育った場所に」
その言葉は本当だった。おそらくは、叶わないだろうけれど。
連絡によれば、DIVAがベトナムに来るまで、あと三週間。
留学準備のための書類作成と試験をカールが終えるまで、あと二週間。
調査書によれば、カールの出身地はベトナム南部に位置する小さな島だった。日帰りで戻ってこられる距離ではないし、残る一週間の間、カールがハノイを離れられる日はない。
「そうだな…お前とだったら、帰ってみるのもいいかもしれない」
「では、その時は案内をお願いしますよ…。家のあった場所や、カールが遊んだ入り江…是非見てみたいです。泳いでみるのも、いいかもしれませんね」
カールが住んでいた時とは、海の色は違うかもしれない。入り江も姿を変えているのかもしれない。それでもカールが帰りたい、と思える故郷に二人で行ってみたかった。
「星が、ここよりたくさん見られるんだ。砂浜に寝そべって…、時間を忘れて星を見上げていたこともある」
「…素晴らしい」
優しい潮騒に包まれながら、二人で寝そべってみたい。
そして…。
「…あなたのような素敵な人を育んだ地を、自分の目で見てみたい」
「………」
カールは所在なさげに宙を見た。目が泳いでいる。
「本当ですよ。カール」
カールの目がどこかに溺れてしまう前に、ソロモンはカールの頬に手をやって、自分の方を見させる。カールは、ぎこちなく微笑んだ。
* * *
翌日の夜。
「何か、食べたいもの、ありますか?」
夕方と深夜の中間ぐらいの時刻に、ソロモンが言った。この時間なら、まだ市場が開いている。
「ドリアンを食べたい」
カールの言葉にソロモンは、え、と言って
「……は?ドリアではなくて?」
聞き返した。
「…ドリアン。知り合いのやつが、そろそろドリアンが安売りだといっていた…。前、一緒に市場に行った時に、最初に立ち寄った店だ…」
カールはペンを走らせながら言った。
ドリアンというと、あのおぞましい臭いで有名な果物か…とソロモンは思いながら、
「本当に食べたいんですね?」
机に向かって頷くカールを見て、ソロモンはドリアンを買いに市場へと向かった。カールの言った店の店員に話しかけて、事情を話せば、「無理しすぎんなよ」と伝言を頼まれ、よく冷えたドリアンを相当安く買えた。袋をしっかり閉めたのだが、帰り道、聞きしに勝るすさまじい匂いが流れ出てきた。
『食べる直前に切らないと、酸化してまずくなる』
とカールが言っていたため、包丁と器をキッチンで回収してから、部屋に向かった。
「…久しぶりだ」
カールは目を輝かせながら言った。
皮じゅうに棘があるので、何処から切ったものかと考えていると、待ちきれなくなったらしいカールに包丁とドリアンをとられた。仰々しい見た目のその果物は意外にも、カールが馴れた手つきで表面に軽く切れ込みを入れると、あとは簡単に割れた。
よく冷えてる、と言いながら、おいしそうに食べているカールを見ていると、
「お前も食べるか?」
カールは「美味しいぞ」といって勧めてきた。
強烈な臭いにどうしても抵抗感のあったソロモンは、最初は断っていたものの、カールがあまりにもおいしそうに食べるので、勇気をだして一口食べてみた。
……美味しかった。
新たな味覚を開拓して、ソロモンが残りの部分をかなり早いペースで食べ始めると、
「………」
カールにドリアンを奪い返された。
もちろん、食べ終わった後の換気はしっかりとやった。
「今夜はもう寝ましょう?」というソロモンの言葉に、カールは素直に従った。
明かりを消してベッドに横になりながら、腕を頭の方に回すと、カールは意図を察したのか、軽く頭をあげた。ソロモンは枕とカールの頭の間に、腕を滑り込ませる。腕枕だ。ソロモンの腕の上に頭を乗せながら、カールは、
「すまない」
小さく言った。
「…どうして謝るんです?」
「私につき合わせてしまって…あまりに眠れてないだろう?お前が寝ているところを見たことがない」
「僕のことはいいんですよ。もともとあまり眠らなくても平気なんですから。今大変なのはカールでしょう?自分のことだけ考えていればいいんです」
ソロモンがカールの黒髪に指を滑らせると、カールは気持ち良さそうに瞳を閉じて、ソロモンの手に頭をすり寄せた。
「…ソロモン…前に言おうと思ったんだが…。私はこれでも…」
カールはバツが悪そうに瞳を開けながら、言葉を切った。
「これでも?」
ソロモンが訊くと、
「感謝…してる…」
カールは小さく言うと、すぐに目を閉じた。
「………」
不意に殴られたような衝撃の後、激しい愛しさが後からきた。
今なら、すぐに抱き寄せてしまえるのだ。
「カール……」
欲情に掠れた声で名を呼び、カールの背中に手をまわすが、返事はない。
「………」
相手はソロモンの腕の中で、安心しきった顔をしながら既に眠りに落ちていた。
「寝つくのが早すぎませんか…?」
いつか言った時と1字1句違えずに、ソロモンは言った。
『拷問ですよね、これ』
そう思った瞬間、ソロモンを追い詰めるがごとく、カールが身を寄せてくる。
毎夜毎夜、睡眠時間を削って頑張っているカールに免じて、この拷問を甘んじて受けようとは思いつつ、朝までこの状態で果たして大丈夫だろうか、と少し不安なソロモンだった。
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