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 それは、本当に恐ろしい夢だった。
 通り過ぎてしまえば、もしくは精神が健康でさえあれば、いくらでも笑い話にできる夢。
 だがそれは、「直面している者」にとっては、最も見たくはない夢。
疲れ、弱っている時に見るには、恐ろしすぎた。

 まだ、笑い話にできる余力は無い。



<地獄への組曲10>



 寒い。
 深夜の闇の中で飛び起きると、体中を冷たい汗が流れていて、私は思わず自分の体を抱いた。シャツが汗で体に張り付いている。震えが止まらない。背骨に冷たく気持ちの悪い何かが住み着いているような感じがする。

「カール?」
 隣で横になっていたソロモンも体を起き上がらせて、机上の明かりをつけながら、私に声をかけた。おそらく今、私は相当酷い顔をしているのだろう。私を覗き込むソロモンの顔はいつになく心配そうだった。
 ソロモンは震える私を見て、タオルケットを掴み、私の肩にかけた。
「怖い夢でも、見たんですか?」
「…ソロモン…」
 自分のだした声のか細さを情けないとは思いながら、私はでてくる言葉を抑えられなかった。
「駄目だった……」
「え?」
 わかっている。先程見たものが夢だったことも。現実にそれが起きないように、最大の努力をしていることも、だが……。
「留学を拒否された…」
 私は奴のシャツを両手で掴んで言った。あまりに馬鹿馬鹿しい。現実に起こっていないとわかっていながら…。それでも、あまりにリアルだった夢の情景が未だに頭に焼き付いていた。真っ白な紙にほんの一行だけ書かれた、拒否の言葉。自分の体が端から砂になって消えていくような喪失感。
「カール。ただの夢ですよ」
 言いながら、ソロモンは私の背中をよしよし、とさすった。
「あなたが、留学拒否なんてされるわけないでしょう?」
 ソロモンの声はどこまでも優しくて、いつもなら何故か悔しい思いをする筈なのに、今はただその優しさに身を委ねたいと思ってしまった。
 ソロモンの腕の中で目を閉じようとした瞬間、ソロモンの肩越しに、明かりに照らされた山積みの本が見えて、

ベンキョウシナケレバ

と誰かが言った。

 ヤラナイト悪夢ガ現実ニナル。オマエニ休ンデイル時間ハ無イ。

ああ。そうだ。勉強しなければ。

「…勉強…」
「…カール?」

 ああ、そうだ。寝ている暇なんてないんだ。
 勉強し続けなければ……。休んでいてはいけない……。

「…勉強しないと…」
 私がソロモンから離れようとすると、
「カール」
 ソロモンは私の両肩に手をやった。
「ソロモン、離してくれないか?勉強、しなければ…」
 ソロモンが目を見開いた。どうしたのだろう。
「駄目ですカール。今は寝なさい」
「だが…っ!!」
 肩にやられた手を振り払おうとするが、思った以上にソロモンの力は強かった。
「カール、落ち着いてください」
「離せっ!」
「…カール」
 必死に体を捩れば、突然、私はベッドに押し倒された。
「…痛…っ……」
 抵抗しようと手をあげれば、ソロモンにやすやすと手首をとられてしまう。
「…っ…。どうして…邪魔するんだ…?」
「どうして…って…」
 どうして邪魔するんだ?私は勉強したいだけなのに……。
 休んでいてはいけないのに…。
「カール、落ち着いてください」
「落ち着いているから離せ」
「離しません」

 手首を掴む手に、力がより一層加わる、骨が折れるのではないかと思った。
「痛いっ」
「僕だって、離してあげたいですよ」
 そう言いながらも、ソロモンは手を離さなかった。
「カール。眠って…眠ってください」
「眠れな…」
「眠るんです」
「眠って」という言葉が子守唄のように、ある一定のリズムで繰り返されて、瞼が重さを増していく。
「駄目だ…。今眠ったら…」
 眠っては駄目だ、眠っては…。目を開いていなくては…。
 またあの夢を見てしまう。そして夢が現実になってしまう。
「大丈夫ですから。今は眠ってください」
 ベンキョウシナケレバ。
 そう思いながらも、瞼の重さに耐えられず、私の意識は眠りの底へと落ちていった。


*   *   *


「おはようございます」
「お……」
 明るい声につられて朝の挨拶を返そうとして、私は昨夜のことを思い出し、口を噤んだ。
 …気まずい。
 何も言わずにベッドから出ようとすると、シャツの肌触りが、あれほど汗をかいたにしては軽い気がして、私は思わずシャツの腕の部分にふれた。

「ああ、あのままだと風邪をひいてしまうと思ったので、替えておきましたよ」
 ソロモンは当たり前のように言った。
寝ている人を着替えさせるのって、結構大変なんですよね。と言いながらも、ソロモンはいつもの穏やかな笑みを顔に浮かべていた。
「パンとコーヒーでいいんですよね。持ってきてから時間が経っているので、パンは少し固くなっていますけど……」
 ソロモンは机の上の資料をまとめ、崩れかかっていた本の斜塔を本来あるべき安定した姿に修正した。
 やはり、いつもと同じように微笑んでいる。
 …私はいつからこいつの微笑みに弱くなったのだろう?

「…ソロモン」
「はい?」
 言いたいことがある。伝えたい言葉がある。
 その言葉は至極簡単なものであるはず。だが、何十本もの糸がぐちゃぐちゃに絡まって、解けないように、私の頭の中はカオスと化していて、そんな言葉ですら、でてこなかった。

「…なんでもない」

私には、そう言うことしかできなかった。

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