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地獄への組曲 7



 明かりが全て消され月明かりだけが照らす部屋で、カールはベッドで仰向けになり、無表情で天井を見つめていた。着ているのはいつも寝巻き用に使っている、薄い白のシャツ。中央には同色のボタンが並んでいる。その横ではソロモンが左の頬を枕につけながら、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。こちらも寝巻き用のシャツを着ている。
 ソロモンの細い指先が、カールのシャツの上を何度も何度も愛しげに撫でていた。

「『診察』するんじゃないのか?自称名医」
 カールが嫌味たっぷりに言うと、自称名医は苦笑しながら、
「そうですね」
 と言って、シャツの隙間から、手を差し入れた。今度は直に、カールの胸の上に手の平を乗せる。
 カールは一度目を反らしてから、再び天井を見た。自称名医の手を気にしない振りをしようとしているが、やはり無理なのだろう。呼吸で上下する胸が、いつもより大きく動いている。
 ソロモンは、とくん、とくん…というカールの心臓の鼓動を感じながら、目を閉じた。
 心臓から送り出され、肺から酸素を受け取った真っ赤な血液が、全身をめぐり酸素を受け渡し、その赤さを失っていく。そしてまた心臓、肺へ……。決して絶えることないその流れは、命を維持するものであり、また毒を、老いを全身に撒き散らす働きそのものでもある。

 生き続ける為に、酸素という毒をその身に受け入れ常に死に向かわなければならない…。

 なんという皮肉だろうと思いながら、ソロモンはカールの体内の流れに思いを馳せた。

 血、血、血、血………。

 外で『食事』を済ませておいて本当に良かったと思う。いくら相手がカールとはいえ、飢えている状態でこんなコトをしていたら、今頃何を考えていたかわかったものではない。

「…で?」
 カールの声に、ソロモンは瞳を開ける。カールは此方を見ながら、
「『診察』結果は?』
 首を傾げて、訊いた。
「そうですねぇ…」
 ソロモンは勿体振りながら、
「深刻な恋煩いです」
 口調だけは重々しく、けれど口元にはにやりと笑みを浮かべた。
「藪医者」
 カールはぴしゃりと言った。
「本当ですよ?」
「煩ってない。煩っているのはお前の方じゃないか?」
「さぁ…自己診断は苦手なので」

 ソロモンは再び目を閉じた。まだ若いと言える心臓は確かに動いている。
 ――カールは確かに生きている。そして、確実に老いながら死に向かっている。他の人体も全てがそうであるように。
 百年経っても、ソロモンの肉体は全く変わらずに若さを保つだろうが、カールはどんなに長生きしたとしても、その時には影も形もこの世には存在しないのだ。それが、人としての時間の流れ。

「もう終わりか?」
 ソロモンが頷くと、カールはソロモンの手をシャツの中から抜いて、ソロモンに背を向けた。
 カールがこうして背を向ければ、大抵、数分も経ないうちに眠りについてしまう。
 ソロモンは天井を見上げた。薄いシミが見える、カールの部屋の天井。
 
 カールの部屋があるアパートは、新しい筈なのに薄汚い五階建てのアパートで、周囲が低い建物ばかりのため、完全に浮いている。その最上階の隅に、カールの部屋はあった。
 もともとはフランス人ように作られたアパートだったらしい。あまりベトナムの気候を考えられずに作られたその建物は、ただでさえ暑く、しかもカールの部屋は西窓のため、午後は大変なことになるという。

 シャワーはたまにぬるま湯がでるが、そうなるか水がでるかは運次第らしい。
 廊下と部屋のあちこちに、カールお手製のネズミ捕りがおいてあるので、鼠がそんなに沢山でるのかと聞けば、一度見てから用心の為に置いてあるんだとカールは答えていた。
 キッチンは共用で二階にある。そんなこんなでフランス人にもベトナム人にも敬遠されたらしく、そのおかげでかなり安い値で借りることができたそうだ。ちなみにベッドや机やソファなどは、前の部屋の主が残していったものをそのまま貰ったらしい。
 カールの部屋は、ベッド、机、ソファのスペース以外は殆どないような部屋で、机の上には相当古い本が重なっていて、ベッド脇にも積み重ねられている。古本を手に入れて、それで何度も読んだのだろう、背表紙が再起不能になっているものがいくつかあり、本のタイトルを見れば、フランス語、中国語、ベトナム語のものが混ざっていた。
 何度かカールの部屋に遊びに行ったり、泊まったりするうちに、ほんの少しでも時間ができれば、ソロモンはすぐにカールの部屋に向かうようになっていた。今ではなんと着替えを数枚置かせてもらっているほどだ。初めて泊まった時は、どちらがソファで寝るかで、「客をソファで寝かせるわけにはいかない」カールと、「カールにはベッドでゆっくり休んでほしい」ソロモンとで一悶着あった。結局、ソロモンが押しきった。二人で同じベッドで寝る時以外は、ソファにソロモン、ベッドにカールという形になる。

 何処で寝るにしろ、カールが寝てしまえば、ソロモンは一人で長い夜を過ごすことになる。
 ソロモンは、天井にある何やら縁起の悪そうなシミを、じっと見ていた。
 なんだろう、潰れた狼に見える、いやあれは……。
 しばらく、どうしようもないことを考えてから、ソロモンが横を見れば、寝巻き用のシャツから覗くカールのほっそりとした首筋が、月明かりに白く照らされていた。おそらくカールはもう、眠りの底に落ちてしまっているのだろうと思いながら、
(少しぐらい、僕のために起きてくれてもいいのに)
 気持ち良さそうなカールの寝息に、ソロモンは意地悪してやりたい気持ちになって、カールの肩に手を伸ばした。後ろから抱きしめ、うなじに唇を押し当てると、目を覚ましたカールが息を呑むのが気配でわかる。

「ソロ…」
「ほんの少しだけ、ですから。大丈夫、服で隠れるところですから」
 言ってから、ソロモンは薄い皮膚に跡が残るように吸い上げた。鎖骨のあたりにももう一つ。
 このあたりで関係を留めておくのが、お互いにとって一番いいのかもしれない。普通の状況で恋人になったのであれば、手をだしていたかもしれないが、どうしても、ソロモンの頭からはこれから先のことが離れなかった。

  五番目のシュヴァリエは、誰?

「すみません」
 そう言いながらも、カールから離れないソロモンに、
「暑い」
 苦情の声が上がる。ソロモンはまた、すみません、と言ってほんの少しだけ離れた。カールはゆっくりとソロモンの方に向き直る。
 何も言わず、真っ直ぐこちらを見つめてくるカールの瞳に引きずりこまれるような感覚に陥りながら、ソロモンはカールの顎のあたりにそっとふれた。
 その手が首筋を撫でながらゆっくりと下がっていって、鎖骨に触れる辺りで、カールがその手を取った。
 カールは何も言わない。その瞳も無言を保っている。やがて、カールはソロモンの手を自分の胸に押し付けた。
 先程より、明らかに心臓の鼓動が速くなっている。

 ソロモンは何も言わなかった。カールの言いたいことはわかる。わかるのだが……。

 何も言わないでいると、カールの空いた手が、一度ソロモンの腹のあたりにふれてから、下に下がっていき……。
 そして、ふれた。
 ソロモンは一度瞳を閉じ、大きく息を吐く。
 確認するように、カールの指先が動いてから、すぐに離れていく。

 カールはソロモンの手を解放すると、体を起き上がらせて、自分のシャツのボタンを全て外した。
 それから再び横になって、カールは、じぃっ、とソロモンの瞳を見つめてきた。
 …………………。
 ぽん、とカールの左手が、シーツを叩く。

 ソロモンは何も言えなかった。
 カールは背を向けた。再びボタンをつけているのが気配でわかる。
「カール……」
 ソロモンが声をかけようとすると、カールは右手をあげて、それを制した。


 ……五番目のシュヴァリエは、誰?


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