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<地獄への組曲 12>
ハノイのある料理店で、私とソロモンは、料理が来るのを待っていた。私達のテーブルの中央には、小皿にスライスされた緑唐辛子が盛られている。(先程、ソロモンが無意識に、そして無防備に緑唐辛子をつまんで、水を急いで飲むはめになった)
昼食にしては遅い時間のせいか、客の姿はまばらだった。天井を見上げれば、シーリングファンが音もなく(一つだけきぃきぃと音を立てているものがあったが)、くるくるとまわっている。
私達が座っている側には壁がなく、柵のすぐ向こうにはタイ湖の湖面が見えた。少し前まで雨が降っていたが、今はだいぶ晴れ間の見える空が、小波をきらきらと光らせている。
「…では、留学に関しては…あとは結果を待つだけなんですね?」
「そうだな、もう書類は全て提出したし…」
「おめでとうございます」
ソロモンはにっこりと笑って言った。
「いや、まだ留学が決まったわけでは」
早すぎる祝いの言葉に、私は苦笑して言う。全力を尽くしたが、それが報われるとは限らない。
「カールなら、絶対に受かっていますよ」
「そうか…?」
「そうですよ。あんなに頑張っていたんですから。この僕に昨夜まで拷問のような日々を過ごさせてまで」
「………」
そこまで酷いことをしただろうか?と思ったが、散々怒鳴ったり、悪夢を見て泣きついたりしていたことを思い出し、考え直した。
「毎夜毎夜、辛かったんですから…」
ソロモンはふー、と長い溜め息をついた。
「すまなかったな…。あの時は本当にどうしようもなく苛々していたから…。何度も酷いことを言ってしまったな」
「え?酷いこと?」
ソロモンはきょとんとした顔で、聞き返した。そこで驚かれても困る。
「あの…そういうことを言っているのではなくて…」
「?」
じゃあなんのことだ?
「そうですよね。カールはあの時、徹夜か、疲れてぐっすり眠っていたかのどちらかでしたから…。仕方ありませんよね」
「なんのことだ?」
一人でうんうん、と納得しているソロモンに私は訊いた。
「こちらの話です。とてもおいしそうな羊さん」
羊?
「羊さん?」
「…まあ、この話は忘れてください。そうだ。今まで頑張ったご褒美をあげないといけませんね」
「…褒美…」
ご褒美。ソロモンが言うと、何故かいい響きのしない言葉だ。
「たっぷりと熱い……」
ソロモンが含み笑いをしながら言うのを聞いて、
「いらん」
私は即答した。
「まだ何も言っていないのに……」
「何を言われるか、大体見当はついた」
「本当にいりませんか?」
「い・ら・ん」
「酷いですね…というか、何の事かわかっているんですか?」
ソロモンは口を尖らせて言った。
「最後は昨夜」
私が短く言うと、
「ご名答」
ソロモンがお手上げ、という感じで答えた。
「…ふふっ…」
「…何笑ってるんですかカール」
「いや、ここまでこれたのも、お前のお陰だなと思って」
「!」
ソロモンは驚いて目を見開いた。驚くところだろうか?どうもこいつが驚くところが未だによくわからない。
「…ソロモン?」
「嬉しいこと、言ってくれるじゃないですか」
「事実だから仕方ない。残念なことに」
「やはりあれですか?愛のちか…」
「調子にのるな」
私はぴしゃりと言った。
「………。まぁ、何はともあれ、あちらに行ったら、しっかり勉強してきてくださいね」
「言われなくても」
「そうですね」
「…あ」
「?」
ふと、私は思いついた。
「お前があちらに帰った時に、会えるかもしれないな。フランスには戻る予定なんだろう?」
「うーん。先のことはわかりませんね。フランスに帰るかもしれないし、ずっとこちらにいるかもしれませんし…」
「そうか。連絡先がわかったら、教える…って、何故私達は留学が決まったことを前提で話をしているんだ?」
すっかりその気になっていた。しまった。
「いや、もう受かったも同然ですし…」
「この辺にしておこう。落ちていたらショックが大きすぎる……」
「大丈夫ですよ。カールなら」
「万が一ということもある」
「ありません。万が一でも億が一でも兆が一でも」
「……。料理こないな」
料理を注文してから、だいぶ時間がたっていた。いくらなんでも遅すぎる。ここは本来、料理が来るのが早くて、財布にはすこぶる優しくてしかも旨いのが自慢の店なのだ。
「…え?ああ、そうですね確かに。かなり待っている気が…」
「どれぐらい?」
「それはわからないですけど。でも注文してから、だいぶ話してますよね。僕達」
確かに。
「確か最初に話していたのが…」
「昨日の夜、カールのイク時の顔がすごくよかっ…」
「お前が阿呆なことを話そうとしたのを私が止めて…、お前が場所を全く考えないことを私が指摘した」
私は湖の方を見ながら言った。
「そんな話、しましたっけ…?」
「いくら言っても、お前が人の話を聞かないから、確かその次にフランスの話に移った」
あの時のソロモンは明らかにヒトの話を聞き流していた。
「あ、そこから覚えてます」
「やはりその前は聞いてなかったな…?それでオペラ座の話になって…」
「ああ、その次に怪人の話になりましたよね」
「小説の話と、ミュージカル版の怪人の違いについて、お前が説明して…」
「でも怪人のことについては、僕よりカールの方が知っていましたよね。本当にお好きなんだとよくわかりました」
「…で、それからオペラ座の地下水路の話になった…それから…?」
「地下水路には、魚が多く住んでいるって話になって」
「魚料理のうまい店の話になった」
「…その次は…」
「あれ?その次って何でしたっけ?」
「…………??」
「??」
「………」
「カールが実は潜水名人だって話は覚えてるんですけど」
「その話と魚料理の間に何かあった気がするんだが」
「ありましたよねぇ…?」
「あったな」
「なんでしたっけ」
「………」
どうしても思い出せない。そこだけぽっかり穴があいたようだ。
「まぁそれは置いておくとして…、潜水名人の次が」
「胡桃割り人形の顔の怖さについて」
「…怖いな…」
「…一部、すごい顔のがありますよね…」
「それから教授の話になったんだ」
「…それで、留学の話になった…と」
「かなり話したな」
「そうですねー。ねぇ、カール」
「ん?」
「僕達、忘れられていませんか」
「…その可能性は、否めないな」
店員に確認してみたら、やはり、忘れられていた。
「やれやれ…。まぁ、話すことはたくさんありますから、待つのは構いませんけど。そうだカール。六日後の夜、次の日の朝まであけておいてもらえませんか」
「六日後?」
私が訊くと、ソロモンが手帳を取り出して、この日です、と言って、日付をペンでさした。
「午後の八時ぐらいに、カールの部屋に迎えに行きますから、夕飯はとらずに待っていてください」
「ああ…。わかった。だが、何故?」
「ヒ・ミ・ツです」
「…ヒント」
「プレゼントですよ。あなたへの」
「どんな?」
「驚かせたいので、詳細はお答えできません」
ふふふ…とソロモンは妖しい笑みを浮かべた。
「嫌な予感がする」
「ハズレですよその予感は。残念でした」
ソロモンは憎たらしく言った。
「…来たな」
私が横を見て言うと、
「来ましたね」
ソロモンが同意した。
我々の視線の先には、料理をこちらに運ぼうとしている店員がいる。
店員の持つプレートの上に、鮮やかな色の香草と野菜に囲まれた大きな焼き魚と、鶏肉のレモングラス揚げが見えた。ソースの香ばしい匂いが、微風にのせられて早速こちらまで漂ってきた。
私達は、待たされた時間の倍以上の時間をかけて、ゆっくりと昼食をとった。
「しばらくは、ゆっくりできるんですよね?特に心配事もなく」
「そうだな…まだ少し課題が残っているが、大して難しいものではないし」
「元気なカールが一番です。…カールの時間、僕がもらいますから、覚悟しておいてくださいね」
いいだろう。近頃私につき合わせてばかりだった。
「お好きに」
今度はこっちが付き合ってやる。
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